Borderless

Borderless(http://papurikared.wix.com/borderless-hirohima)のオフィシャルブログです。ふらっとふわっと思いのままに書いていきます。

#case1「性別を試着できたらいいのになあ」

 kastaneのワインピンクのロングスカートに、ローリーズファームのぺプラムトップスを合わせて、PARICIのコートを羽織る。足元はDr,Martinのブラック3ホール。ユナイテッドアローズのレザーショルダーバッグを提げて、私は家を出た。黒に近いダークブラウンに染めた長い髪は、毛先をそろえる程度に切るばかりだった。眉はしっかりと描いて、お気に入りのリップも忘れない。最近はDHCのリップクリームにポール&ジョーのグロッシーリップカラーの10番を重ねるのがマイブーム。そんな手の施しが至る所に入った私は、おそらく誰が見ても女の子だろう。けれど、そうはいかない。

 生まれた時は女の子だった。見分けは大方生殖器の有無で判断されたのだろう。「おめでとうございます、元気な女の子ですよ」そんな簡単に言わないでくれ。でも、女の子の私に付けられた、「人生に彩を加える子」という名前は、今でも割と好き。

 初めて恋をしたのは男の子。見た目も中身も恐らく男の子。野球をしている、ちょっと真面目な男の子だった。その頃は、何度か男の子に恋をした。

 初めて同性に恋をしたのは中学生の時。相手はフェミニンな女の子。ふと、「キスしていい?」って聞いたら、「無理」と一刀両断。それでもまだ友人関係の続いてる私たちは、仲がいいみたい。でもその当時、同性に恋をすることはおかしくないと思っていた。周りも、おかしな目で見ることはなかった。今考えると、そんな環境はものすごく恵まれていたんじゃないかなあと思う。いじめられるどころか歓迎される勢いだったからね。

 初めて本気で「この人とだったらお母さんにカミングアウトできそうだなあ」と思ったのは高校の時。相手は綺麗な顔をした、ボーイッシュな女の子だった。思いは実らなかったけれど、関係断絶だと思っていた私に「一緒に話す時間がほしい」といってくれた時は本当にうれしかった。たぶん彼女は、私のことを本当に友人として大切にしてくれたんだと思う。(ちなみに彼女とは一緒にUFOを見た仲)。

 そうして大学に入学して恋した人は、私の性についての考えを尊重してくれた。「いいじゃん女の子好きになっても」、その一言がどれだけうれしかったか。たぶんいった本人は忘れているけど、その言葉ばかりは心地よい重しのよう。あふれ出る偏見に対する苛立ちやもやもやをそっと上から閉じ込めてくれる、優しい石。

 私は結局今でも自分がどんな性別なのかはわかっていない。考えすぎるのもよくないけれど、自分がはっきりしないのももやもやする。思い切って異性愛者でアライのほうがすっきりするんじゃないかなあとも思うけれど、それじゃあ納得いかない。身体の性別と心の性別は、みんなどうやって受け入れたんだろう。

 

試着室に入って、「女の子」か「男の子」か「そうでないやつ」を自由に選んで身に着けられたらいいのになあ。